2021年10月8日金曜日

幻の黒船カレーを追え


水野仁輔著「幻の黒船カレーを追え」を読んだ 。「銀座ナイルレストラン物語」(読書記録)を読んで、同じ著者が出しているカレーの物語、ということで本書を読んでみた。

 今回の感想はややネタバレ気味なので、新鮮な気持ちで読みたい方は、この先を読む前に、本を読んでほしい。


 では、ここからあらすじと感想を。

 日本のカレーのルーツを探ると、明治時代に黒船に乗ってやってきたイギリス人から伝えられたレシピ(西洋料理通)に行き当たる。では、イギリスに行けば、当時のレシピで作られたカレーが今も食べられているのだろうか、ということを実際にイギリスに行って確かめたのが本書だ。サラリーマンの身で、何か月も現地調査ができるわけでもなく、著者は仕事をやめ、フリーランスの作家になる決断をする。

 そういう意味では、本書はカレーを追った本であり、かつ、脱サラ(死語か…?)をした著者の旅立ちを記した本でもある。高野秀行氏の本もそうだけど、行動力がすごい。突き詰めるとはこういうことなのだろうか。

 幻の黒船カレーは見つかったのか、についての結末も、高野氏の本に似ている。プロセスが同じだと結果もまた同じになる、のだろうか。

以下、記憶に残った言葉

P. 53「料理人が最後に頼れるのは、自分の記憶なんです」

イタリア軒の窪田秀行総料理長の言葉。窪田氏は著者にイタリア軒のレシピを渡しながら「この通りに作っても同じ味にならない」という。レシピに書けることの中に本当に大切なものなんて存在しない、と。

カレーのレシピ本を何冊も出しているカレー研究家の著者をもってしても再現はできないというのだから、腕が問題ということではないのだろう。

むしろ、個人の味覚の違いだと指摘している。そして「味覚とは、味を覚えること。単純な料理ほど技術の差が出るから難しい。だから体で、目と舌で覚えること」という。

例えばイタリア軒のルウが完成した時の音を「ルウが鳴く」と表現しているが、どんな音かは想像もつかない。

P. 61「古のカレーを今に伝えるレストランはなくはないが、僕が本当に知りたい歴史や当時のレシピまでが整理されているケースはない。誰だって明日を見ながら今日を生きている。老舗のホテルやレストランだって同じだ。」

 著者が国内のレストランを回って、黒船カレーを探していた時の言葉。この言葉に、今回の旅が集約されている。

P. 145 「文献には一定の歴史的価値はあっても、その時代を映す鏡となりえるかどうかは疑わしいと常々思っていた」

 いわれてみればその通りで、自分が普段食べているものはレシピ本にあるような凝った料理ではなくて、むしろ手抜き料理だ。最近は「クラシル」の簡単レシピを参考にありもので作ったものを食べている。

 なので、昔のレシピというのも当時の権威の人がきれいにまとめたものであって、人々が食べていたものとは異なっているかもしれない、という疑いは理解できる。

 カレーレシピ本を40冊以上も題している著者の言葉だから重い。

 以上のように、カレーについてもこだわっていくと、料理以外に歴史や文献の信ぴょう性など様々な観点が表出してきて、とてもためになる。結局、総合格闘技になっていくのだ。

 内容以外で、この本を通じて感じたのは「寂しさ」だ。過ぎ去ってしまった過去、報われない探索、会社のメンバーから個人、など、本書はある意味で喪失の物語となっている。ただ、村上春樹の小説のように、喪失ののちに新しい何かを感じる物語である。

 そういう意味ではひたすら熱量を感じた銀座ナイルレストラン物語とはかなりテイストの違った本だった。


2021年10月7日木曜日

戦闘機乗りジイさんの世界一周 やってはいけない大冒険!!

 


保江邦夫著「戦闘機乗りジイさんの世界一周 やってはいけない大冒険!!」を読んだ。

著者は大学で教鞭をとる物理学者。本書は、著者とその父親のふたりで世界一周した旅行記である。父親は、第二次世界大戦で戦闘機「飛燕」に乗って首都防衛任務に就いていた。タイトルの「戦闘機乗りジイさん」はそこから来ている。

「やってはいけない大冒険」の方は、おそらく超ハードな旅程から。行先を決めるにあたって、父親から

  • いまさら大都市を見ても仕方がない
  • 同じ観光地に二日以上いるのもつまらない

という要望を受けたため、二週間にわたって移動し続けるという超ハードな旅程となった。

しかも、飛行機で飛び回るだけでなく、車でのアルプス越えやロッキー越え(しかも次の飛行機に遅れないように)をしている。父親が70代、著者が40代であるが、年齢を考えてもとても並のことではない。そういう意味で、確実に「冒険」であった。

印象的だったのは、いくつになっても親からは学ぶことがある、ということだろうか。

基本的に(著者から見れば)やることなすことケチをつける怒りっぽい父親なのだが、いざ、という時には優しい。例えば、険しい深夜の山道を何時間も何時間も走っても、まだ目的地に着かないとき

「この分ならホテルに着くのは深夜になる。途中で飯を食っていたらもっと遅くなる。次のガソリンスタンドで走りながら食べられるような食料と水を買い、ゆっくりと走ろう。こういう体験も勉強になる」

と言って著者をなだめる。

怒っているときは問題が大したことない時で、本当に問題になるような状況では極めて冷静になって打開策を考える。それが生きて終戦を迎えることができた一因と著者は分析する。

また、戦闘機乗りだった父親は行く先々の国で、航空関係者から敬意をもった対応をされる。もちろん、著者の交渉力もあってのことだと思うが、それでも、やはりうれしいことだろう。表紙の写真も、パイロットの好意で特別に旅客機のコクピットで撮影したものだ。

そういうわけで、冒険としても、家族の物語としても興味深い本であった。もう絶版になっているので、書店で買うのは難しいかもしれないけれど、図書館などで探して読む価値のある本。

2021年7月27日火曜日

有川浩 「阪急電車」再読

 

有川浩著「阪急電車」

図書館で見かけて気になって借りたら、以前にも読んだことがあった。1章読んで気が付いた。逆に言うと、表紙を見ただけでは気づかなかった。

そもそも、私は「阪急」に弱いようだ。親がもともと阪急系列の会社に勤務していたことも関係していると思う。

とはいえ、タイトルだけで読み通すほど、私は読書が得意ではない。この本はやはり面白い。

阪急今津線と主人公たち

本書の舞台は阪急今津線の8つの駅である。前半では電車は宝塚駅を出発し、西宮北口駅に至る。後半では、西宮北口駅で折り返し、宝塚駅まで戻っていく。それぞれの駅が一つの章に対応していて、駅ごとに主人公が変わっていく。

それぞれの主人公は初めは全くの他人である。偶然近くに乗り合わせた、というだけの縁なのだが、やがて人生を変えるような出会いになっていく。

現実世界では、電車で人と関わり合いになることなどまずない。しかもこの頃ではノイズキャンセリングヘッドホンで耳もふさいでしまっているので、人の話を小耳にはさむこともない。その意味で、この小説の阪急電車は、ある意味で時代劇の中の人情残る江戸の下町、みたいなものかもしれない。

また読み返すかも

本書の主人公は、老人と幼児、高校生、大学生、新社会人と様々である。大学生のボーイミーツガール的な展開もあれば、PTAの胃の痛くなるようなつらい人間関係もある。自分のライフステージが変われば、感情移入する主人公も変わってくるだろう。

そういう意味で、本書は何度も読み返すことになるかもしれない。

ちなみに、今回は「下らない男ね」「やめておけば?苦労するわよ」という老婦人の言葉が刺さった。そう言われている男には決して同情できないが、かといって、老婦人のように切ることもできない。自分を棚上げするなどというような思考をしていては、決して出せない切れ味である。私もこのまま歳を重ねていけば、(若いころの自分を忘れて)ズバッと切るようになっていくのだろうか。それとも、人の性質というのはそうそう変わらないのだろうか。


2021年7月21日水曜日

銀座ナイルレストラン物語 ー 日本初のインド料理店の発展

銀座ナイルレストラン物語
表紙の写真は看板料理の「ムルギランチ」

本の感想の前に

この本を読んだのは2020年の2月のことで、COVID-19の流行が国内で始まったころだった。緊急事態宣言、在宅勤務、などいろいろな変化があり、読書やブログを書くモチベーションを失ってしまっていた。

いま、ワクチン接種が進みようやくCOVID-19の出口が見えかけたような気がしている。ブログを書く気力も戻ってきたので、まずは古い記事の下書きから投稿しようと思う。

第一弾はこの「銀座ナイルレストラン物語」だ。この本で日本のカレー店の源流を知り、著者の熱にあてられて、家でスパイスカレーを作るようになった。

1年半も前のことなので、細部は記憶がおぼろげであるが、大枠だけでも書き残せたらと思う。

銀座ナイルレストラン物語の感想

ナイルレストランは銀座にある、日本初のインド料理店。インドカレーを初めて出した店、というと新宿・中村屋が思い浮かぶが、それは喫茶事業の一環であり、専門店としてはナイルレストランが初なのだという。

本書は、1949年創業のナイルレストランの創業から現在までを、創業者父子を追う形で書いている。

ナイルレストランの立ち上げ

初代のA. M. ナイル氏(以後、父ナイル)はもともとはインド独立を目指す革命家で、京大留学のために戦前、日本に渡ってきた。1947年にインドがイギリスから独立すると、ナイル氏の革命活動も終わる。そして、食べていくために始めたのがインド料理店であった。

面白いのは、インド料理を作ったのは父ナイルではなく、日本人の奥さんだということ。彼は経営者であって、料理人ではなかったのだ。

伝統の継承

本書の次の主人公は息子のG. M. ナイル氏。

彼は看板商品のムルギランチを決して変えなかった。違うことがやりたいなら別の店としてやる、ナイルはナイルなので同じものを大切に作り続けた。

ただし、彼は父ナイルとは違い、自分自身が料理人であった。万博のために来日したインド最高のホテルの料理人から直々に料理の指導を受けた。

興味深いのはその修行法。徒弟制ではなくて、家庭教師制なのだ。お金を払って、自分が納得するまで教えてもらう。「見て盗め」という職人の世界とは一線を画している。

以上のように、安易な現状維持のためではなく、料理人として積極的な判断で、レシピを守っていた。だからこそ、店は70年以上にわたって繁盛しているのだろう。

著者の情熱

登場人物も魅力的なら、著者の水野仁輔氏もすごい。
全編を通して、隙がない。正確に、しかも面白く伝えたい!という情熱が伝わってくる。
彼は、本書のほかにも「幻の黒船カレーを追え」というカレーに関するノンフィクションを書いている。ぜひ読みたい。

おわりに

私はまだナイルレストランに行ったことはないが、いつか気軽に外食ができるようになったなら、ぜひ行ってみたい。
すごい本に出会った。読んで良かった。



2020年1月26日日曜日

スタープレイヤー(恒川光太郎)十の願いを叶える能力を持って未知の惑星に連れてこられたら

恒川光太郎 スタープレイヤー

「十の願い」という特殊能力を持って、地球ではない別の世界で冒険の日々を送ることになった斉藤夕月。女。三十四歳。無職。本作はそんな彼女の異世界での暮らしを綴ったファンタジー小説である。

本作は下記のように始まる
2001年 東京 三月 
小金井市の住宅に真っ白な男がいた。
これがこの本を読むきっかけになった。舞台が近所だったから。ファンタジーを楽しめるかどうかは、その世界に浸れるかどうかにかかっている。場所つながりで、世界に入っていけるかもしれないと思ったのである。

読み始めれば、場所などほとんど関係なくスッとスタープレイヤーの世界に入り込めた。文章力がすごい。

プロットもよく練られている。願いを増やす願いを試みる(願いハック)など、よくある設定つつきなどに時間を使わず、その世界で生きるために、リアルに話が進んでいく。

そう、マイクラの初日に、なんとか日暮れまでに家を作り、安心して寝られる場所を確保するかのように。

また、人間関係の描き方もよかった。
最初に一人の暮らしを描き、次に二人の関係、そして村社会、国家と次第に人間関係が広がっていく。その中で、斉藤は成長していくのだが、要素が整理されているだけ、物語として伝えたいことがクリアになっている。

あとがきで「ファンタジー小説はまず書かせてもらえるようになるのが大変」とあるように、昨今の出版不況では相当な実力者でないとファンタジーは書けなくなっているらしい。そのハードルを超えたのも納得の本作は、皆におすすめできる。

本作には続編のヘブンメイカーも出ているので、今度はそちらも読んでみたい。


2020年1月25日土曜日

魔眼の匣の殺人 - 屍人荘の殺人のシリーズその2

今村 昌弘著「魔眼の匣の殺人

「あと二日のうちに、この地で四人死ぬ」

本作は、予知能力を題材にしたミステリー。魔眼の匣(はこ)とは、予知能力者が住む山奥の村の(元)研究施設の名前。村の住民たちが、予言を恐れて村を離れる中、施設を訪れた主人公たちは、施設に閉じ込められてしまい、惨劇の幕があがる。

本作は、小平の図書館で5月に予約していて、半年待ってようやく借りられた。前作屍人荘の殺人読書記録Webコミック)がとても面白かったのでとても期待値Maxで読んだ。一日で読んでしまった。

本作は、前作に続いて舞台設定(というか、世界設定?)に特徴がある。

予言をアリバイづくりやトリックとして使う作品はよく見るように思うが、本作は違う。
「本当に的中する予言あったとしたら、どんな物語が展開できるか」というスタイルを採用する。とはいえ、全員が予言を信じているわけでなく、村の住人以外にはほとんど知られていない。なので、外からくる予言を信じない人、予言を恐れている村の住人のそれぞれの行動が物語を展開させていく。

設定がしっかりしているからだろうか、ああ、こういうこともあるだろうなという、ある種のリアルさを感じさせることに成功している。

その一方で、やや設定を作り込みすぎた感もある。後半で謎が次々と明らかになるのだが、開示される謎とそれに釣り合うだけの物語があったか、を比較するとやや謎が勝ちすぎているように感じた。本作が、そうだと言っているわけではないのだが、物語のない謎の開示は設定集を読むようなものである。個人的には、せっかく魅力的なキャラクタがいるのだから、各人を人として描く比率を高めてもよかったのでは、と感じた。これから読む人は各登場人物のストーリーを頭の中で十分に膨らませて読むことをおすすめする。

ともあれ、屍人荘の殺人につづいて、新しいエンタメ的ミステリーを提示していて、楽しめることは間違いない。

Youtubeで本書に関する著者インタビューを見つけた。


前作を読まずに、本作から読んでも良いといっているが、私は前作も読むことをおすすめする。重要な登場人物や組織は前作から引き継がれているし、前作の事件を踏まえた心理描写も多いので。

2019年12月28日土曜日

山藤章二のヘタウマ文化論を読んだ

山藤章二著 ヘタウマ文化論
神田の喫茶店にて

本書は、著者が夜寝る前に考えた「ヘタウマ」に関するよしなしごとを、そこはかとなく書きつくったもの。読んでいても「夜のリズム」というか、静かにゆるゆると流れていく思考を感じ取れてよかった。読んでいて穏やかな気持ちになった。

さて、山藤章二氏は、美大卒で広告会社から独立して挿絵、漫画で活躍され、この本の執筆時は75歳とのことだった。

当時、著者が美大に入るには、デッサンデッサンまたデッサンで絵を「上手く」描くことを叩き込まれた。また他の芸術でも同様で、作家は名文が書けてあたりまえだし、落語家は上手さで笑わせることを信条としていた、という。

それが、近年では「ヘタウマ」がもてはやされ、「上手く描ける人がわざと下手に描いて」表現をするようになったという。

本書で出てくるエピソードは、時代的には、私よりもだいぶ上で正直わからない人も多かった。そうなんだけれど、安西水丸氏はわかった。村上春樹のエッセイの表紙を描いていたりするけど、たしかにヘタウマだ。少なくとも画力を見せつけるタイプではない。

本書は、タイトルに文化論とあるように、ヘタウマが流行した文化的な背景が考察されている。ただ、資料にはよらず、記憶を頼りに論を進めているので、細部についてつつくのは粋ではない。むしろエッセイとしてとして読んだ。

興味深かったのが、議論の中で著者の友人であった「立川談志」の視点が何度も登場することである。談志の言葉を引いていることもあれば、あいつなら、こう思う、と書かれていることもある。これっていいなぁと思った。

一つの道を極めた友人が、自分の中にいる。それは、一人でいても、二人で議論を深められ、思考の袋小路に陥るのを助けてくれるだろう。

さて、私の頭の中に、誰かそういう人がいるだろうか。
世界に対して扉を閉じていないだろうか、また、通り一遍の人付き合いで世を渡ろうと考えていないだろうか。

著者の語り口と夜の雰囲気が、私にそんなことを考えさせた。
著者の人生のつまった、いい本だった。


幻の黒船カレーを追え

水野仁輔著「幻の黒船カレーを追え」を読んだ 。「 銀座ナイルレストラン物語 」( 読書記録 )を読んで、同じ著者が出しているカレーの物語、ということで本書を読んでみた。  今回の感想はややネタバレ気味なので、新鮮な気持ちで読みたい方は、この先を読む前に、本を読んでほしい。  で...